色めがねと教習所

2014/11/26

最近、健康に関するいろんなネタがFacebookとか

ネットニュースとか雑誌とか、はたまた書籍や論文とかでたくさん出るのを

見るたびに思うことがあります。

 

「こんな当たり前のこと書いてるんだぁ」とか

 

「もう20年以上も前から言われていることなのになぁ」とか

 

「あえて研究でこんなん出ましたって言わなくても考えればわかるやろう」とか。。。

 

 

そこで、ふとあることに気づかされました。

私はそういうこと(健康ネタとか)が大好きで

ずっと調べたり勉強したり自分実験(笑)したりしてきたから

思考回路の中にその基礎となる部分がいつのまにか出来ていて

それを通して世界をみている、ということに。

 

別にこれは、私がいろんなこと知ってるぞってことを言っているのではありません。

実際、ディテールなんて知らないことだらけですから。

 

それは、今まで自分に蓄積してきたものが

私の「色めがね」となってそれを通して物事を見たり

分析したりしていた、ということなんです。

 

例えば、車をいつも運転している人は操縦者の視点で見ることに慣れています。

(当たり前ですが…)

車幅はこのくらいあけようとか、人が近づくとこのくらいのスピードに落とそうとか、

感覚で操縦できるようになりますよね。

多分、いちいち頭で考えなくても操縦席に座っている時の感覚が身についています。

それと同じような感じ…かな。

 

 

私の「色めがね」は

 

「自分の中で今更声を大にして言うほど真新しいものじゃないよね」

 

「調べたら誰でもすぐにわかることだよね」

 

「いや、これが相当身体に悪いことくらい多くの人は知っているよね」

 

とか、そんな思考もありつつ、公には小出し程度な情報発信をして、

個別には、困っている人がいたらできる範囲でサポートする、というスタンスでした。

 

 

でも、最近そんな記事のシェアを見たり

セミナーなどに参加して思わされるのは

 

「あれ?思った以上に情報は人々に浸透していないぞ…」ってこと。

 

情報を常にアップグレードしていく過程で

「ほう。おおむね、言ってることは私の認識と合ってるなぁ」ってこともあれば

 

「ふむふむ。これのディテールはこういうことだったのかぁ。深いぜ!」

 

「こりぁ、知らなかったわ!」ってこともたくさんあります。

 

ただ今までの蓄積があるゆえに、その理解が立体的になっていくことに

感動を覚えるんです。

(もちろん、感動だけじゃなくて心が痛く苦しむこともありますが)

 

 

そして、ひょんな個人的体験がきっかけで

今のオタクなNAOさんができていることにも意味があって

それを通して得たことを、より進化させて発信していくことが

私の大切な役割のひとつであるのだと自覚するようになりました。

 

例えるなら、普通自動車をバンバン乗り回して、時々その車で人を助けていたけど

もっと運転で人助けができるかも!それが私の役割かも!?

そうだ!大型2種にいくか!!みたいな…。

 

 

運転すらしたことない人に対して

「車幅こんくらいだよね?」「ブレーキのタイミングはさぁ」って言っても

それは理解できないのと同じで

まずその人は「教習所」に通わなければなりません。

 

そして、自動車の運転と違うのは、健康を考える世界には

まだまだ私が思う以上に、教習所にも通っていない人がたくさんいたのだ、ということ。

いや、もっとやっかいかも。

「運転ってさ~、実は後ろ向きにやったほうが効率的なんだって~」とか

「ガソリンにさ、少し水を足したら燃費が上がるみたいだよ!」みたいなことを

「そうなんだ~♪やってみよ~♪」ってなことがまかり通っているような…。

 

そりゃやばいじゃん!!

 

 

個人レベルで蓄積してきたことを

公に向かって進化させていくのは簡単ではありませんが

幸いに多くの方が研究されたり分析されたりしたことを発信されています。

 

それを私なりの視点(独断と偏見多々あり)でチョイスして

皆さんにお伝えしていけたらいいな♪

 

そうちょっとした小さな「教習所」

 

その教習所を出た人たちが、その人たちの好みの車を手に入れて

自分らしく好きなところに向かっていくために。

 

 

(都内の隠れスポット!)

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